一枚の写真

私は、父親を知らない。
おばあちゃん、おじいちゃんに育てられた。
おばあちゃんは、神経痛で手と足が、痛い中、私達兄弟に衣食の世話をしてくれた。
ある時、飼っていた鳩を逃がしてしまった。泣いている私に健文、男は、泣くなと怒られた。
夕方になって、健文ほれと渡された紙箱に鳩が、入っていた。喜んだ私の顔を見て、おばあちゃんも喜んだ。
痛い足を引きずって、バスに乗って、私のために鳩をお金の大変な中、買いに行ってくれたのである。
おじいちゃんは、父親代わりだったと思う。私達兄弟を立派にするために定年を過ぎても、働いて、学費を用立てしてくれた。
母親は、住み込みで、中居をして、私達兄弟をバックアップしてくれた。
私が、結婚して、4人の子供を授かった時、私を育ててくれた祖父母と母親のこころ根を私の子供に伝えていこうと固く思った。
4人の子供は、結婚して、孫も5人なった。
現在の私も、おじいちゃんと同位の年齢に達し、働いている。
そのチャンスをフリーステーションで、得たことそのものが、私の宝物であると思う今日この頃である。
営業企画室 藤林健文2011-01-10_010119

Leave a Reply