ずいぶん前の話になりますが、第3回目ノルデイックウオーキングの日の事です。
私は、ゲスト様が道路を安全に横断していただけるよう誘導する係を仰せつかって、交差点に立っておりました。そこへ、「近くの保育園でバザーしていますから、寄って下さい」と、チラシを持って女性が声をかけて来られました。
「ありがとうございます」とチラシをうけとったものの、見知らぬ土地でのイベントに参加することへの抵抗感や、当日は気温上昇が予想され、イベント終了後は寄り道したくないなーという気持ちの方が強かったです。
でも、自分も子供が小さいころは、同じようなことをしていたよなー、とか、今日は社名入りのベスト着てたしなーと打算的な考えも浮かび、行こうか迷っていました。
迷うなら、行かずに後悔するよりも行こう、と思い立ち、帰り道によってみることにしました。
それらしき場所が遠目に見えた時、バザーも含め、ちょっとした夏祭り風の会場だったので、来たことを後悔してしまいました。とりあえず、足を進め、バザーコーナーに向いながら、「そうだ、わんこの散歩バックが汚れてきたから、そんなバッグがあればなー」と思っていました。
そしたら、なんとバザーコーナーに着くや否や、散歩にぴったりのバックが目に飛び込んできました。
「ラッキィー。やっぱり来てよかった。」
そして、「これお願いします」と、奥に座る方に声をかけると、
「あっ」×2
その方は、先ほどチラシを配布されていた女性でした。お互いに、びっくりでした。
「ありがとうございます」 「頑張ってください」
なんだか、とっても得した気分、幸せな気分になって帰路につきました。
バックとの出会い、その女性との巡りあわせは、偶然なのでしょうか。いえいえ、見えない糸、縁が結び、必然となったのだと思います。
「縁」は、このような出会い系(ちょっと表現が変ですか?)の場合もあれば、 当たりまえすぎて気づいていない「縁」もあります。例えば、何気に使っている電気は、発電所で作っている人がいて、管理する人がいて、各家庭に送られています。家の中にごみ溜まらないのは、定期的にごみを収集してくれる人がいて、集まってごみを焼却してくれる人いるからです。
家の前にごみが落ちていないのは、もしかいたらお隣の方が拾ってくださったのかもしれません。
私達は、このように、様々な「縁」に支えられて生きています。そんな風に考えると、ホントに毎日が感謝です。そして、「縁」は前述のように、積極的に広げ、幸せを呼ぶことができます。その幸せの輪は、見えないことで重なり合って、与えられること、与えることも様々あり、私達を支えてくれているのだと思います。
「縁」に感謝。 山外 桂子